2016年4月26日火曜日

【それ】と〈死〉がいるということ・日常の〈裂け目〉と異界への〈交通〉的生活、態度

うちの人が今夜はこのまま寝たら枕返しきそうやわと言うので僕が、せやな、今夜はなんかおるわ、と答えたら、これって共感できるんやと驚かれ、そら共感できるでと答えた。生きてはいないもの、死んでいるもの、あるいは【それ】がいることは案外そういうもので誰かと共感できるものだ。

最近は【それ】が僕の部屋に来ることはすくない。今日はみんなで昼から日曜大工ならぬ月曜大工をしてすこしばかり疲れていたので来たのかもしれない。疲れていると寄ってくることは多い。隙につけこんでくる。そういう感じというのはべつにふつうにある。

【それ】の、なんだか邪悪さが濃密なときは僕はそれを〈死〉ととりあえず呼んでいて、「あ、〈死〉が今夜は近寄ってきやがった」とか電話で話したりもまえはしていたけど、どうやら不用意に寄り付かせ取り憑かせない程度には鍛錬を積んでくることができるようになったからこの頃はそれはあまり来ない。

【それ】と〈死〉との境目というものはいまのところ僕にはよくわからない。とりあえず大きくまとめてそれがいる、ということがわかるという程度なのかなとおもいながらそういうときはとりあえず息を整えたりうたったりギターを弾いたりする。音楽は音が消えても部屋からしばらく消えないでいる。

こういうふうに書くとこのオカルト野郎がということになるのかもしれないけれどそれはまあそれでいいと思っていて、それ、ないしは、なにかがいる、ということの、それを感じることの確かな感触に比べればそれの実証も批判もべつにどちらもあまり大きな意味をなさない。いるからいる、それだけ。

【それ】が自分というもののなかに巣食うときというものもある、むかしはあった、【それ】はうちがわに巣をつくるようにしてうちがわからヒトを蝕んでくることもあるのでそれには注意をしたほうがいいと思う。それがほんとうに自分なのか自分のものなのか確かめる術というものがはっきりあればいいが。

わかればいいが、わかるもんであるときもあればわからないものであるときもある。そもそもがそこでいう自分というものがどこから、自ら分かれてある、ものなのかということはヒトにはそう簡単に分けられるものでもなく、本来的には分かれていないかもしれないものなのでわかろうとしてもわからない。

そういう大きな、いろいろな種類や方向をも含んだ【それ】との〈交通〉の回路が開かれてしまうというのは一種、日常の〈裂け目〉というものであって、良きにせよ悪しきにせよ、裂けてなにかが部屋のなかに流れこんできてしまうということはあり、それはもうそれでしかたないとも言える。

ただし、おのおのに必要な訓練を積むことで不用意に【それ】に感染されつづけ死にたいとかいう自分ではないかもしれないけれど自分でもありながら同時に自分ではないところの死にたいというその欲動を生の欲動に振り向けるということも可能だし、それを寄せ付けずそれと暮らすこともできるものだ。

【それ】に脅かされているヒトはまずはそのことについて視界を向けてその声を聴き、そういうことが可能だということを信じ切ってみるのもひとつ、いいかもしれない。僕は信じろとは言わないけれどこれはひとつ僕の経験談というか語る時点でそれはある種フィクションなのだけどそれが僕のリアルでもある。

あとは、うちの人にも言ったけど、【それ】を闇雲にこわがらないほうがいい。基本的にはそれ自体はべつにこわいものじゃない。それの方向というのか、向かう先というのか、発露のしかたというのか、そういうものをまちがえずにていねいにそれを付き合えばそれですむものだったりもする。

音を鳴らすとそれは空気振動としてはいずれ消えるのだけどさっきも言ったようにそれはそう簡単には消えない。音は消えても消えないものが部屋にこだましているのはよく身体を澄ませばわかる。それを聴いたほうがいい。それは澱んだものをひかりのほうに浄化してくれたりもするものでだから音を鳴らす。

それはその意味では反転して至福なものともなりうるもので、【それ】はだから〈死〉と呼びたくなる状態にあるときもあるけどそれを音楽を介して別様に変えることもできるものであって、だから【それ】が仮にその瞬間は死んでいるものだとしても生きているものになることもあるしそれは同時だったりする。

〈猫になる〉というヒトの生成変化・神話と小説・まなざしの鏡のゼロポイント・吉本隆明とフランシス子を巡って

「僕が思うに、猫さんと仲良しになるのにいちばんいい方法っていうのは自分も猫になればいいんです。「猫を飼っている」という感じじゃなくて、自分も猫化して、猫さんとおんなじになっちゃえばいい。」吉本隆明

「猫という鏡は、光の反射を利用したふつうの鏡を超えた作用をしめす。それは鏡の向こう側に広がる領域への通路を開く、「生きた鏡」なのである。だから猫への「愛」は、人間的愛の向こう側にある世界に触っていることになる。」中沢新一

僕が吉本隆明さんに”出逢い”、彼に惚れたのは、この本を読んでからだったなあと思い出す。

「抽象的な自己同一はまだなんら生動的ではない。肯定的なものがそれ自身否定的であるということ、このことによってはじめて肯定的なものは自己の外に出、変化のうちに自分をおくのである。だから、有るものは、自分のうちに矛盾を含んでいるかぎりにおいてのみ、しかも矛盾を自分のうちに容れ、持ちこたえる力であるかぎりにおいてのみ生動的である。(ヘーゲル『大論理学』)

「「抽象的な自己同一」というのが、この場合、吉本さんのいう「余計なもの」である。それは「私」とか「人間」という同一性の中に収まっていて、外に出ていこうとしない。この「余計なもの」を否定し、壊し、捨て去ることができれば、はじめて自分の外に出ていって、実在の変化のうちに自分をおくことができる。そのときはじめて精神は生動的になれる。」中沢新一

猫になるとかいうとじゃあどうやってなるんやそんなん無理やろと言いたくなる人もおられるでしょうが、「そんなん無理やろ」というのは「猫」という「抽象」に「抽象的な同一性」をもって向き合おうとしかしない姿勢から生じる言葉なんやないかと思われます。

三鷹に住んでいた頃、井の頭公園でよくギターを弾いたりそれを聴いてくれていたたまたま出逢ったおっさんにビールをご馳走になったり夜にはさみしげな女の子の恋バナ相談にのったりしていた僕ですが、当然、井の頭公園にいれば猫とも仲良くなります。いっぱいいるもの。

猫さんたちにむきあうには猫さんたちとおなじように猫さんに向き合わなければうまくいきません。人間として近づこうもんなら猫さんはすぐさま遠ざかります。だからまずは猫さんがしているのとおなじ眼で猫さんのことを見るのです。そうすると猫さんと僕とのあいだがぴたりと静止する瞬間がうまれる。

これは赤ちゃんにむきあうのとだいたいおなじです。赤ちゃんにむきあうときに大人の人間としてむきあうとよそものはすぐに泣かれてしまいます。赤ちゃんがこちらを見る眼でもって赤ちゃんを見るときに、ぴたりと眼差しの交叉がゼロになる、そういう瞬間があると思います。

どちらも鏡のようなふうにしてこちらをまなざしてくるものですから、こちらもまた鏡のようにしてそちらをまなざしてあげるとき、こちらとそちらという双方向のベクトルがちょうど真ん中で溶け合い反射しあいうつしあうまなざしのゼロ地点に双方が立つ、ということがあるんだと実感します。

仏教哲理などでもそうしたゼロ地点、ゼロポイント、ゼロロジックというものは身体技法、たとえば「チュウ」という観想技法による身体解脱の伝統的手法に継承されておるとうかがい知っております。「抽象的な同一性」にもとづくアイデンティファイされた〈私〉の境界を解体・溶解する作法です。

身体というものは物質的に構成されており、それは可視的な境界領域を有し手に触れることもできる確かな実存として認識されておりますが、それは物質的な位相での知覚ということであって位相を変容させてしまえばそれは粗大なマッスとしての固体から微細な粒子としての流動体にも変容可能なものです。

この点、身体論は様々な位相をもって語られる必要があるものであるということはひとまず脇に置いておいて、物質的境界領域としての身体という存在-感が、圧倒的なリアリティを形成してしまっているドクサのようなものがあるのが現代的な認知作法かと思いますし、それが自己同一性とも結びつきやすい。

〈私〉の輪郭はあまりに堅牢なのでそれをそのままに視覚・触覚認知する日常的思考のなかではもちろん猫さんになることなんてできません。し、物理的に猫さんになることは素敵ですけどたぶんできません。できるのはそうした意識の変性状態における〈猫化〉ということでそれは身体性を伴うということです。

一時期、井の頭公園の野良猫さんたちと何時間も何時間も見つめあったまま微動だにしないという遊びをしていました。どのようにまなざすことができれば猫さんは僕のことを自然にまなざしてくれるのかということを実験していた、というほどの意識はないんですが、あの眼はとてもおもしろくてね。

うちで飼っていたコロという猫さんはもう死んでしまってそれをアパートメントの記事にも書いたんですけど、いま生きているコロがまた僕のまえにひょっこり現れてくれたら僕は以前よりもずっとあいつと仲良く暮らしていけるのになあとすこしさみしい気持ちにもなったりするものです。

もちろん猫の考えてることなんてわかりっこないのでそんなことはわかろうとしなくていいんです。わからないことをわかろうとして相手に詰め寄るのは相手を遠ざけるだけだと僕は猫さんから学びました。わからないことをわからないままにそれこそそのままを鏡のようにまなざしてからだをひらいてあげる事。

そういう視点に立つならば、猫さんにむきあうのも赤ちゃんにむきあうのも、それよりもなんだかいろいろと余計なものが多い人間にむきあうのも、本質的にはかわらないんじゃないかと思ったりするんですよね。猫さんになっちゃえばいい、というのはとてもいいはなしやなあと僕は思って読みましたあの本。

”動物になる”というのは、山下澄人さんの小説「ルンタ」にもそういうシーンがあって僕はあれを読むといつもどきどきします。近代的個人が個人のまま閉じているというものにあまり惹かれないというのは僕の嗜好なんですが、”動物になる”ってのは神話的思考の対称性がそこに働いていて、どきどきする。

そもそもが人間も動物なんですけどね。でも動物から切り離されちゃった。バタイユが言うことを簡単に言うとそういうことで人間が動物から切り離されて「人間/動物」という「/」が抽象的認識として発展してこびりついちゃった。その「/」はなかなか消えない。その「/」を「非対称性」という。

人間と猫は種も違うんで非対称なのはそれはそうなんですがバタイユなんかが嘆いていたのはその非対称性から人間が”動物性を剥奪され・喪失してきてしまった”ということなのかと僕は読んでいるんですけど、読みの正確さには自信はありません。ともあれ、動物性の恢復というのは色んな人が言う。

神話的思考はそうした「非対称性」の覚知から人間と動物・植物・自然界への「対称性」へとむかう〈接続回路〉のようなものを世界各地に現出してきたようですが、実は現代日本においてとても身近でささやかな実践として、そんな風に野良猫と見つめ合うこと、そして猫さんになることがいいやないかと。

神話を読む人を増やそうとするよりは猫さんとのむきあいかた、まなざしあい方、見合い方、というものひとつとってみても、ヒトが猫になるということの意義深さのようなものは覚知できるんやないかと僕なんかは今こうしてぼそぼそと書き綴っているなかでそう感じました。神話を日常の所作におとしこむ。

とか言うと大げさなんですけど、猫と見つめ合うのはいろいろととてもいい訓練になるものだなあとむかしをふりかえり思いましたいま。そのまんま井の頭公園のベンチでスーツのまんま昼寝しちゃったりね、してたんですけど。動物への回帰ってそんなに高尚なものでもないよねって、吉本隆明さんへ〈接続〉。

言説のモンタージュ・「音楽」の境界、越境、即興・巫術における託宣と〈うた〉の本源的相同性について

言説のモンタージュ、異なる位相に属する語りを接続する文の綾成しは因果と因果の錯綜の諸総体に向けてとり行われる。複雑性を単一性に集約してしまうのではなく、ロジックを解放しその扉を開き異なる〈部屋〉のなかを逍遥するバイロジカル、ヘテロジニアスなパロールとエクリの遊走歩行について。

言説のモンタージュという文生成の表現技法を用いることにたいしてはまだ不慣れだ、と思ってはいるが、実のところ、モンタージュ的な作法に基づいて思考するというのは十代の頃から変わらぬ作法であることをこの頃改めて自覚した。

知の境界領域、その峻別ということを暗黙的に刷り込まれる学校教育観というものがあると感得し、大学では全く統一性のないあらゆる学知を逍遥した。そうでなければわかるはずがないということだけは確かすぎるほどにわかっていたのでいつも頭のなかはカオスだった。それは今もそうかもしれんが。

分別知というものはその個々において深めていくための効率性、合理性というものを提供する、が、諸事物は分別されながらも無分別であるという矛盾のなかにしか全きすがたをあらわさないというのは十代からの直観としていまも変わらない。先日の鈴木大拙の説く”無分別”への〈接続〉。

なので、大学にはいって不定期に行っていたこととしてひとつ独自の「思想地図」の製作というものがあった。学問領域でもいいし、気になるタームでもいいし、とにかくその時点でおのれのなかに渦巻くものたちを紙に思いつく限り紙に書き出してそれらを線でつないでいく。見えない因果が可視化される。

音楽について考えるためには音楽以外のことをも考えなければならないとの旨のことを説いたのは武満徹だったと思うがそれもまた当然である。音楽というのは”音楽という言葉”を超えるものであるのは当然のことで、音楽を考えるにあたり「音楽」だけを追っていてもそれがわかるはずもない。

【音楽と日常】(2014年6月11日公開分のTwitter再掲載)

「再生」と「再/生」の差異
musicalmicrostoria.blogspot.jp/2014/06/blog-p…

ライブという場で「曲」として構築・”完成”されたものを演奏する際に当時感じていたもやもやについての思索の文をふと思い出して読んだ。楽曲の演奏という「再現」に纏わる「再生」と「再/生」の差異というものについてその時の感覚的思考を記述している。

内容について大きな思考的転向はいまもない。「再生」と「再/生」には差異がある。それは自身の演奏においてのみならず、他者の演奏の鑑賞においても知覚可能である。演奏者が「完成された曲を、自身の知りうる最高の演奏として、演奏しようとする意識」の有無というものも鑑賞可能である。

厳然とした峻別は不可能かもしれないが。なぜ可能かと言えば、演奏者がある完成された楽曲を演奏する際に、「完成」「最高の演奏」というものを意識している時点ですでにそこに自己意識が介入して、音楽体験に演奏者自身が没入しきれないため、その演奏者の自己意識がこちらに”聴こえてしまう”のだ。

それを良しとするか悪しとするかは鑑賞者の態度や嗜好にもよるだろうが、僕個人としては、そうした「意識がその時点で知りうる完成・完璧をなぞる演奏者の自己意識」は、音楽を卑小化すると感じられる。ゆえに演奏技術としては卓越したプロの演奏には退屈なものが多いということもある。

楽曲という形態を意識的になぞってしまうと、たとえばギターを演奏する手よりも頭での思考が優先されて、忘我的な音楽への官能状態、ある種の非意識状態が意識状態へと回帰してしまい、その分音楽体験としての官能性が減少するということは言えるのかもしれない。

先日のブログでは、〈歌い手と場の官能性〉と鈴木大拙を引き合いに出した〈禅的なるものの無分別〉を記述した。
musicalmicrostoria.blogspot.jp/2016/04/18013.…

無分別的な状態、〈意識の自然状態〉というものを仏教哲理は重要視する。即興を本性とする技芸もまたしかり。

「神子は九字の印を切って笹を持ちながらまず高神の託宣をおこなった後、神送りの歌が唄われます。そして次に拠神の託宣がおこなわれます。この託宣ですが、これは神子にいわせると「おだいじ」が喋るのだそうです。「おだいじ」といいますのは神招八ヶ大事や護身法之大事という文書の入った袋のことで、いわば神子の証書であると同時にお守りのようなものです。また、神子は託宣について「自分で喋ったことを他の人から後で聞いても覚えていないことも随分ある」とも「自分は口から出る言葉を喋るだけで内容は覚えていない」とも「信仰だから何が出てくるかわからない。信仰していれば神様が出てきてくれる。一生懸命に信仰していれば口で喋らされる」ともいいます。」中島智『文化のなかの野性』第五講 飽和地帯のアルスー日本   「巫術師」と人文  258頁

「これは私自身の体験から非常によくわかるものです。私も描画において何が出てくるかわからない楽しみと驚きを経験していることは既に申しました。これも相対的・社会的自我からダイナミックな無境界の世界へ意識が変性することで、この託宣と同様に世界を取り込むとも世界に移入するとも表現できる一種の「熱情的忘却」によって大量の情報が「他者的世界」から流れ込んでくるのです。その意識は直観から勘から恍惚から陶酔というものまで形や深度は様々ですが、やはり言葉では表現できないものです。あえて強引に分析すれば、それは「疑う」ことから始まる思考論理とは別の野性的=官能的な論理でありまして「信じ切る」ことから導かれる心身の委託状態によって無根拠な自己が実現されるのですが、それは既に述べました「覚」や「緩やかな衝動」や「内なる他者としての野性・神性・官能性」といったものが活性化をはじめることで世界(他者)とのダイレクトな交通(移入)が可能になるということです。これについては根拠を必要としない強力な確信がマスカレードを生じさせる効果やシャーマンと芸術家の変性意識による「眼力」(移入力)というテーマで既にお話しましたね。そしてこれを体験してしまうと「考えることは間違いを必ずはらむ」ということが実感としてみえてくるようになります。イダッコも、こう述べています。「口から出てくる言葉は信仰から出てくるので、信仰が足りなければ間違ってしまう」と。心身を開いて多元的な世界にコミュニケートすることで得られるものは、思索によって得られるものよりも豊かである以上にリアルで正確なものである、とここで申しましてもしょせん言葉で伝わるものではないというのがここでの結論かもしれません。」中島智『文化のなかの野性』258-259頁

「僕が歌う」ではなく「口が歌う」ということは、たぶんそれなり鍛錬を積めばだれでもできます。何を歌うか、どのように歌うか、という技法・作法はシカトしてまずは「口に歌ってもらう」こと、それが可能だということを信じて口に任せてみることで、勘のいい人ならすぐに体感できると思います。

「体験した人の言うことを信じなさい。あなたは森林のなかで、本では見られない貴重なものを発見するでしょう。博学の人から学ぶことのできないものを、樹木や岩石から学ぶでしょう。あなたは石から蜜を吸い、角立った岩から薬を採ることができないとお考えになりますか。けれども実際には、高い峰は甘露をたらし、丘は歌と蜜をほとばしらせ、川のほとりは五穀が実るではありませんか。」聖ベルナルド(池田敏雄『乳と蜜の流るる博士、聖ベルナルド論』)

2016年4月23日土曜日

意識の支配外に現れる無意識的な個性・場と化す身体・踊り・音楽(tweetまとめ)

「美術鑑定家ジョバンニ・モレッリは作家が描画の際、個性的な努力がもっとも弱まる部分にこそ動かしがたい無意識的な個性が現れてしまうことを説いた。これをカルロ・ギンズブルグはこう評した。則ち「重要なのは、意識の支配外にある要素を芸術家の個性の中核と見る態度である」と。鑑賞も然りである。」中島智

「ではギンズブルグのいう「意識の支配外に現れる無意識的な個性」は美術 (芸術) に限られるものなのか。もとより否である。ではアウトサイダーアートとアートとを分断したがる「社会構造」とは何か。結論を言ってしまえば、その分断はアートを自らのアイデンティティとする人々の領有化にすぎない。」中島智

踊りを鑑賞する際にYouTubeなどの動画でそれを鑑賞することを僕は好まない。そうした鑑賞では踊りそのものを鑑賞することはできないからだ。なぜか。踊りは、少なくとも舞踏的なるものは、視覚体験ではないからである。

もちろん舞台をまなざすとき鑑賞者である僕の眼は舞台に立つダンサーの身体をまなざしており、そこには視覚作用が働く、がゆえに、視覚体験としての鑑賞という側面は一面としてはある。が、時空間を共有することでしか知覚不可能な身体と身体のまぐあいというものがある。

それは身体動作の記号論的解釈を退ける鑑賞であり、視覚情報を超脱する全身感受としての官能の体験である。少なくとも舞踏はそのようにして鑑賞しなければ体験することはできないと僕は考えているので動画ではその〈踊りそのもの〉が視覚情報に卑小化されてしまうと感じるのである。

踊り手のAと話をした。〈身体を開く〉ことのできる踊り手は稀であるとのこと。これが意味するのは〈身体を拓く〉ということとはまた別の位相である。〈拓く〉という訓練は内的なるものに親しい。〈開く〉という訓練は外的なるものに親しい。あえて区分するならばそういうことになる。

人間が歌をうたう際に、その時空間の共存のなかで僕はその歌い手の身体を取り巻く一種の〈聖域〉を知覚する。それは”見える”種類の境界領域である。たとえば青葉市子さんの歌を同じ時空間で聴くとき僕の眼には青葉市子さんの身体を包み込むなめらかで小さな半球体を”見る”という体験をした。

その境界領域は動画では知覚できない。同じ曲を聴いたとしても。同じ時空間でしか知覚できない時空間の変容作用というものがあるのは確かなことで、それを含めて音楽体験というものはある。それは聴覚体験を超脱する。

「重要なのは、意識の支配外にある要素を芸術家の個性の中核と見る態度である」ギンズブルグはこのように述べるが、それはこのような舞踏や音楽の体験において正しい。もうすでにそこにいるということでそれは疑いようもないリアルを現前させるものでありうるということ。ただ立つだけでも踊り足りうる。

「ある場所に、この身を置いてみる、それだけで、この身は、場に感応、官能して、そこでしか成り立たないものを、踊りはじめる」踊り手Aとの対話のなかでの合意。

「意識の支配外」にある身体と場の官能の〈理〉のなかで、身体は身体としての〈思考〉を起動する。どのように、なにを踊るか、ということを頭で考えることはそこでは不要だ。身体は場に置かれて場に官能することで〈場〉となり、〈場〉としての身体そのものが〈思考〉しはじめるのを踊り手は知っている。

「その場における踊りは、その場に入ってみなければ、どのようなものになるかはわからない。わからないものを練習しようがないから、私は練習というものをしない。というかできない。」とのことを踊り手Aは語った。僕は共感した。

「練習しようがない」というのは、”その場での踊りはその場でしか生まれ得ない”というリアルな知覚的認識に結びついたパロールであると言える。”その場での踊り”は練習できない。練習できるのは、〈身体を拓く〉という意味での鍛錬である。

身体技法の鍛錬としての練習は〈場〉としての身体、〈場〉としての〈踊り〉の生起の強度や質を変容させるのでそれは不要どころか必要である。その鍛錬をもとにして、〈拓かれた身体〉をもとにして具体的な場所に入り込み、場所に官能する=〈身体を開く〉のだと言えるのではないかと思う。

〈場〉と化した〈身体〉がその場所においてどれほどの広がりや密度や気配や圧を持つのかということは鑑賞する側がその場所に〈身体を開く〉こと、そしてその場所に官能することで知覚できるものであり、先ほどの青葉さんの〈聖域〉は〈開かれた場所〉とも言えるものであり、それは”見える”のである。

そこで”見える”ものがなんなのか、それを科学的に検証・実証・論証することは僕の手には余るが、そのような場所への知覚というものがあるということは確かなことであるとひとまず言える。

自身がうたうとき、演奏するときにも、そうしたことを遊んでみたりもする。壁によって仕切られた一つの空間のなかに〈音としての身体〉を開く、その開き方を色々に変えてみることはできるものだなと先日の東京滞在の時にも色々に実験をした。

「畳の敷かれたこの範囲まで」とか「視界には入らない向こうのほうでしゃべっている男の人のところまで」とか、耳に聴こえる音や気配を頼りに、〈音の領界〉を変容させる。僕は「音の飛ばし方を変える」と言うけど、そういう〈聖域〉の物質的な距離を操る作法というものもあると思っている。

高円寺のライブハウスでこどもとセッションをしたときはそれが顕著に自覚された。こちらが彼のところまで〈音の身体〉ないし〈音の意識〉を”飛ばさないと”彼は僕の音になにも反応しない。しかし、彼のところに、彼の場としての身体の領界に正確に音を”飛ばす”と、彼は僕の音を聴きそれに呼応する。

それを意識という言葉で呼ぶべきかどうか僕にはまだよくわからないがそうした〈接続〉による場と場の溶解作用というものがあり、そうしたものが成り立たないとフリーセッションというものはよいかたちで生起しないとひとまず言えるのではないかと考えている。

森に入ったときに「あ、森に入った」とわかる、その体感、感覚。〈森を知覚する〉。バターが蕩けるようにして大地としてのパンの上で僕らは形を溶かして踊り歌う。固形同士では混ざりあえない。

2016年4月22日金曜日

Aの踊りの追憶にまつわるエクリチュール

Hot Buttered Club。溶けだしたバターの香りが立ち込めていそうな名を冠したその店は渋谷にあり、その店でぼくはある女性に再会した。その人はぼくが心から尊敬する踊り手であり、ぼくはかつて一度だけ見た彼女の踊りを今尚全く忘れられずにいる。

彼女の踊りを見たのは何年前だったか。ぼくは数字というものに疎いしこの頃は曜日感覚すらなくしてしまったような時間感覚の崩壊のさなかにだらだらと生活をしているのでそれを正確に思い出そうと思う気持ちも起きないし、仮にそれを正確に思い出してみたところでそれにはさほど意味はないのでそれは別にいい。いつそれを見たかというのは体験にとっては重要な事柄じゃない。重要なのは、今尚ぼくは、今ここにいながら彼女の踊りの時空間の感覚のなかへはらわたとともにそこに滑り込むことができるということで、つまりそれはいつでも再起動できる感覚としての記憶であって、つまりそれはいつでも再起動できる感覚としての記憶であって、その感覚だけはもうなにがあっても忘れないだろうと思われるほどにぼくのはらわたのなかにひっそりと、それでいていつでもそこにいるものとして、感覚だけはもうなにがあっても忘れないだろうと思われるほどにぼくのはらわたのなかにひっそりと、それでいていつでもそこにいるものとして、ぼくのはらわたはそれを記憶している。それを記憶と言うのだろうか、それをぼくは概念的には知らないが、確かにそれははらわたの記憶というしかたでしか言い表すことのできない、たとえそう言ったとしてもそれもまたたいした意味はもたないかもしれないのだけどそういう類の一撃をはらわたに喰らい、いまでもなおその踊りがぼくのはらわたを踊らせることがある。

熱く蕩けたバターの香り。その店のカウンターに腰掛けてぼくはその夜彼女といた。彼女とはときどき思い立ったときに会うことにしている。そして話をする。いろんな話。どんな話をするかは特に決めてはいない。それはそうだ。別にディベートをしにいくわけじゃない。ただその場でその時々に二人のあいだに沸き起こるものを話す。会話に計画はいらない。それはいつも即興であり、パンのうえのバターが熱を帯びて溶けだしてゆくようにおのおのの地図のような模様を描くようにしてゆっくりと親密に進行していく。

Aの踊りに驚かされた理由をあえて端的に一言で言葉にするならばそれは、彼女がその場所で踊ることでそれを見ていたぼくの内臓がそれに導かれるようにして踊りはじめてしまったからだ、ということだ。これをもうすこし詳細に記述してみたい。これはあくまで記憶を遡行する追憶の試みであり、ここで記述される記憶は当然ある種のフィクションである。体験そのものを言語化することはできない。人は愛するものを語ることに失敗すると語ったのはロラン・バルトだったか、まあそれはそれでいい、失敗するならすればいい、失敗に先に見えてくるものもまたあるのだから。

某日。ぼくは彼女の踊りを見るためにひとり、その場所へむかった。そこは古びた場所だった。劇場というにはあまりに簡素なその造りと、古びた建築物だけが醸し出す重厚な沈黙の気配。ぼくがその舞台を眺める観客席に着いたときそこはもう人で埋め尽くされていて、あたりはもう暗く消灯されていたので座る場所を見つけるのも一苦労だった。ようやく席についたぼくは肩をすぼめながら踊りのはじまりを待った。

その頃のぼくは踊りの舞台をよく見に行っていた。それはぼくが当時引き受けていた舞台音楽制作の仕事柄の事情もあったけれど、それとともに踊りというものへの興味関心、という言葉を超え出るくらいの熱量の、踊りというものをこの身に体感したいという欲動によるものだったのではないかといまでは追憶する。それはひとつの衝動だった。

友人と井の頭公園で酒を呑んでいたときがあった。ふと彼と踊りについて話をしていたとき、彼は、日常的にダンスが見たいとかそれを体感したいとかそういう欲求はないなと話して、ぼくもその時はそれに頷いた。ダンスというものがその時のぼくには遠いものだった、少なくとも、マスメディアを踊らせるダンスにまつわる情報のなかにぼくの心を踊らせるものはなかったし、その当時いくつも体験・体感した踊りのなかに自身に贈与の一撃を与えるようなものはぼくにとってはなかった。ぼくの日常から切り離されたところにダンスがあり、ダンサーがいた。それは遠い感触だった。

開場時間がせまっていた。ぼくはカバンのなかからペットボトルのお茶を取り出して一口それを含みそれをカバンに戻した。のどが渇いていた。会場はすでにむあっとした熱気を帯びていた。客席と客席の距離が近すぎるのもあった。となりの人と肩が触れ合っていてまるで満員電車のなかみたいで不快だった。けれどそれでも見に来たのはぼくだからそれはしかたない。開始の時間を待った。

暗い舞台。それはもう黒い舞台と言ってしまいたいほどに真っ暗闇のなかに埋もれていた。そこになにがあるのか、なにがないのかもぼくの目には見えなかった。濃密な暗闇。けれどそれは嫌いじゃない。幕があけるまえの静かな闇。それからでないと見えないひかりもまたたしかにあるものだとぼくは知っている。

記憶。次の瞬間。舞台にスポットライトが当たった。女の背中が見えた。女は黒い薄手のドレスのような、ドレスというにはあまりに簡素な造りのそれを一枚だけ纏って、こちらに背を向けて立っていた。

その瞬間。

その瞬間にもう、ぼくは、そこにいるなにものかに捕らえられていた。

女の背中を見ていた。女はすこしも動かなかった。それは立っていた。おそらく立っていたのだろう。けれどそれはぼくの知っている普通の意味での立っているということをすでにあまりにも軽々と超えてしまっていて、ぼくにはそれをぼくやだれかが普段それをしているような、いわゆる立っているという状態のことを指す言葉と同じ言葉でそれを呼んでもいいものかよくわからない。そういう、立っている、ということがある。ということをまずぼくはその時はじめてそれを知った。それはもうすでにそれだけで踊りだった。それは間違いのないことだった。

ぼくは微動だにしない彼女の身体の立ち姿に眼を含めた全身を釘付けにされたまま彼女のことを凝視していた。腹が痛くなってきた。いや違う。正確には腹が痛いわけではなく、その身体を見ることで捕まえられてしまった自身のはらわたのある場所に自然と手を当ててしまっていた。それは痛みにも似ていながらべつに痛いわけではなく、見えない手のようなものに腹の内部をしっかりと掴まれてしまった感覚への驚きへの反射的な対応であったというほうが近いのかもしれない。それは痛みにも似ていながらべつに痛いわけではなく、見えない手のようなものに腹の内部をしっかりと掴まれてしまった感覚への驚きへの反射的な対応であったというほうが近いのかもしれない。ぼくは、というか僕の身体は彼女の身体を垣間見たその瞬間にすでに彼女の身体に捕らえられてしまったということは確たる事実であった。この感覚を正確に記述する術がぼくには見当たらずいまこのようにして冗長にそれを追憶して記述してみるがやはりそれはそのままのそれを記述することは不可能だという結論に達さざるを得ないという諦めの感触とともにしかしそれでもなおそれを書いてみたいのだといまこうして書いている僕がここにいま文字をつづっている。文字を綴るグルーヴ。いまは止まらない。

というのは嘘だ。グルーヴは一度止まった。というかそれは止められた。同居人がぼくに話しかけてきたからだ。それは今日の出来事。ぼくはベッドに寝転がってこれを黙々と書き綴っていたのだけど、それはもうそれだけですでに踊りだったとそう上に書いたそのときにぼくは彼女に話しかけられてぼくは一時的にこれを記述するのをやめて、この文章はそれゆえ一時的な断絶ののちにいまこうしてその過去の地点から数時間経ったいまにこうして綴られている、というのは文章における時間性の不思議というもので、ぼくはその不思議のこともいつも不思議がったりもする。がそれはいまの本題ではないのでそれを記述することはいまはやめておくことにしよう。ぼくはもう一度あの舞台をまなざすぼくへと回帰する。

ぼくは腹に手を当てていた。ぼくは彼女の身体を見ていた。見つめたり、ながめたり、彼女の身体の境界線を辿ってみたり、その境界線の外部にあたるいわゆる空間と呼ばれる場所に眼を泳がせてみたり、彼女の身体をもふくめた空間の全体の気配をながめてすくいとってみたり、それこそいろいろなしかたでそこに眼はいた。ぼくは見ていた。それは確かだ。どのように見ていたか、それは書ききることはできない。見ることと語ることは違うからだ。どれだけ詳細な記述もその現場で起きていたことをそのままに書ききることはできない。痕跡というものはそういうものだ。エクリチュールの困難、その不可逆的な圧縮作用、つまりは、記憶を頼りに出来事を追憶して記述するということはドキュメンタリーの作法のようでもありながらそれは結局のところ必然的に嘘、フィクションにしかなりえないのである、ということを前提にしてしかこのようにこうしたことを書くことはできないので、ぼくはいまぼくの見た風景と感覚をある種のフィクションとして記述している、それは先ほどの時間性の断絶と接続が読者の知らぬところで時間を削ぎ払い圧縮してしまうことと同様にして、ということを前提にしてしかこのようにこうしたことを書くことはできないので、ぼくはいまぼくの見た風景と感覚をある種のフィクションとして記述している、それは先ほどの時間性の断絶と接続が読者の知らぬところで時間を削ぎ払い圧縮してしまうことと同様にして、れてしまいやすい視座であり視界である。視界の外にもまた視界のうちがわに連なるリアルが潜んでいるというのは、無意識が抑圧されることでここに浮上することになった意識との関係にも似ているものである。

彼女の身体が、その動かない踊りが、その停止時間が、彼女の意図されたものであるのか、あるいはどこまで意図されたものであるのか、ないしはすでにもうその時点で意図などを越え出てしまっているものなのかをそれを見ているぼくには判断できなかった。その停止時間はどれほどだったか。長いようで短いようで長いような、その時間感覚はすでにそこで日常的な時間感覚、時計の指し示す時刻の単一性をバターのように溶かしてしまい、ぼくは彼女の踊りの時空間とその時間感覚のなかにすでに全身で取り込まれてしまっていたのだ。

2016年4月21日木曜日

〈妖怪=溶解〉=〈無分別=禅なるもの〉=闇=夜への散歩による接続

浅田彰は『構造と力』において思考の基層として〈ピュシスからの人間の追放〉というものを据えているように僕には読める。〈錯乱する人間〉というモランなどの視座に立つならばそれもまたひとつ確かに言えることではあろう。

追放は追放であり、それゆえの象徴秩序の生成パラダイム、そうした位相での論理形成というものは可能ではある、が、果たして彼は夜の森に足を踏み入れたことはあるだろうか、という想いもまた、僕にはある。追放されていながらも、という視座の置き方というものができるだろうと。

闇のなかに音が聴こえる。門のなかに音が刻まれる。これは漢字の表記の話で別にそれはそれでもある。が、闇の力とはその溶解作用にあるのではないかと思う。無分別を織り成す闇。それはカオスにも似て。しかしカオスに似てはいてもそれはそれとしての秩序もまた内包するものであり、そこに夜の森がいる

そこに溶解するとき人間もまた闇の一部となる。ひかりがそこに灯ることがないがゆえに境界や輪郭や形を喪い、見えるものを失い、そこに見えないものが溶け合い、夜を織り成す。そこで人間が人間の共同体を離れて妖怪とともに見合いヒトのある一面を曝け出すということもまたひとつ確かに感じられる。

そこで夜が演じている。演じ手は夜を纏って夜をうたう。そうしてうたを授かることもある。そういえばそれはまえに〈鳥獣戯歌〉といううたを授けてくれた。そこで俺は俺かというとそれは俺ではあるが俺でもないところの俺であり、それを演ずるのはやはり夜であると言える。

暗闇は分け隔てなくすべてを覆い、それやこれと名づけられたあらゆるものにおのれを纏わせてそこに一なる影の連なりを織り成す。影のやさしさとはつまりその、一、にあるのだと僕には思われる。溶解するところ、妖怪がいる、というその音の連なりは果たして偶然の産物だろうかとこの頃は考えてみたりも

境界線を溶解させる影の現象学、そこに、昼のひかりには隠された夜の炙り出すおのおのの闇、溶解するところ、魑魅魍魎が蠢き、無数の虫の知らせを聴きながら、唇を震わせる。振動。動揺。恐れはまた畏れとして、そこには期待というものもあり、待っているのだと。

溶解=無分別の現象形態は夜の官能へと誘う。過剰なサンス。噴出する漆黒のマグマ。裂開はなにも動的なダイナミズムを伴うとはかぎらないのかもしれない。それは夜の森の闇のなか呆然と立ち尽くすその身の静かな溶解のなかにでもあるものだろうと僕には感じられる。

外へと出るための森、その、夜の散歩

ふと誘われるようにして、夜の森へと散歩にでかけた。基本的には、夜の森には近寄らないことにしているのだけど、今夜はどうもそれが必要だと感じたのでそうした。夜の森は人間の入るところではない、ということは一面としてはわかっていて、だからふだんはそこへは近寄らない。そこは人間にとっての外なので、そこは危険なところなので、軽い気持ちででかけると帰り道をわすれてしまう。それは森にかぎらない。夜という時間にはそういう危うさがいつでもある。たとえそうして歩きでるのが人間の街だとしても、ときにはその見慣れた風景のなかで、しかし夜であるというその理由だけで、そこはいつものそこではないということになり、途方もない不安定さとともに、道端に立ちすくむときもある。そこは夜であるというだけでもうそこではないということがあるのだ。それはではどこなのか。それは夜のなかのそこである。そしてそれはそこでありながら、そこでさえないところにひらかれてしまっているために、ぼくはそこでそこではないそこのなかに呑み込まれて、帰り道を見失うことになるのである。それは危険なことだ。けれど僕はときどきそれをする。それを求める。それを必要とする。欲求よりは欲動であり、欲動でありながらそれはぼくにとっては必要である。そういう位相のなかにあり駆り立てられる散歩というものが夜にはあったりする。

家から国道とは反対の坂道をのぼりいつもの森へむかった。森へはいるには途中で右手にはいる必要があるのだけど今夜はどうも右手の森は深すぎると感じ、行ったことのない左手の道をまずは歩いてみた。その道はすぐに行き止まりとなっていた。家々が行く手を阻んだ。しかたないので来た道をもどり、右手の森へと歩きいった。夜の森はおそろしい。こわい。そんなことは知っているしそれはあたりまえだ。だからこそ行くのだからそれはそれでいい。こわいからこそ行くときにそこにしかいないものがいる。そこにしかいないものがいるからそこは昼のそことはちがってこわいのであって、昼のそこにはこわいと感じられないそれが夜のそこには感じられる、その、それ、に、会いにいくために、あるいはそれに包まれにいくために、そこに夜に行くというのはある。それは危険ととなりあわせである。だからこその意味がそこにはある。

夜は妖怪たちの世界である、といってもぼくは妖怪のことなど知らない。本でそう読んだだけだ。岩田慶治さんの本でもそんなことを読んだ。昼の世界と夜の世界のちがい。それらは同じものではない。だから昼と夜という言葉がある。岩田さんがフィールドワークした村では夜の世界は人間の世界ではないから、夜には村人たちは森には決して入ってはいけない、そこには妖怪たちがいる、そこは人間の世界ではない、という信仰があるらしく、彼らはその信仰とその教えにしたがって、夜の森には近寄らないらしい。その感じはとてもよくわかるなあと思いながらそれを読んだ。夜の森は、人間の世界じゃない。すくなくとも、いわゆる現代の人間らしい人間の世界じゃないから、夜の森に足を踏み入れるとき、ここには来てはいけない、という危険信号のようなものを肌やなにかで感じる。その直感、ないしは直観は当然のようにしてあり、それは夜の森に足を踏み入れるときにはかならずと言ってよいほどに確かに感じるものである。でも入る。なお入る。あえて入る。なぜそんなことをするのか。

答えは簡単だ。人間の世界から抜け出すためである。人間の世界ではない夜の森には人間のまま入ることは危険である。そこは人間の世界ではないから、人間のままではそこは人間にとって別の世界なのである、だからそこに危険を感じる、そこへ行ってはいけないと感じる、そこは別の場所だと感じる、だから、そう感じるのは別に自然なことだ、だけど、だからこそときどきそこへ行く、というのはあたまのおかしなやつだと思われるかもしれないが、だからこそ行くというのがぼくには正しい。そしてそれはふつうの意味ではあたまがおかしなやつだと言われてもそれはまあそうかもしれませんねと返すくらいのことで、おかしなことだと思いながらでもそれは必要なのだからしかたないのだし、ぼくにはそれは自然なことなのだから、ぼくから見ればそれをおかしいと言われる筋合いはないのだ、そんなことまで言う必要もないのだけど、まあときどきそうするのだ。それはぼくにはときどき必要なのだ、というだけのことである。

真っ暗闇の色に染まった樹々が生い茂って、空に無数の葉のあなぼこをあけていた。黒色の不規則な文様から朧月が時折顔をのぞかせた。

森の奥のほうで蛙かなにかがたくさん鳴いていた。ぼくは立ち止まって深く息をして、蛙たちのようななにかの鳴き声に耳をすませた。それらはそれらでありながら夜のなかでひとつであった。一。その不思議。そのことをこの頃はよく考えるようでもある。

昼の森には、あけひらいたあなからそのままにこのからだのうちがわのものを浄化し森へとかえすような感じがある。夜の森にも、そのようなものはある。けれど同時に、そのあなから、なにかを吹き入れているようでもある。昼もそういうこともある。けれどなにかがちがう。それが昼と夜のちがいでもある。夜のそれはさっきも言ったように危険なものでもある。それは越境する力でもある。夜の森は、だから、ここから先は行ってはいけないという見えない境目のようなものがある、それを感じる、そこから先へは行ってはいけない、それはぼくの警告かはたまた。そこから先へゆくとなにがあるのか。べつになにもないかもしれない。ただ、その先に惹かれるときというのは、どこかへとそのままに消えてみたいという欲動のなかにあるということを言ってみても、おおきくは違えていないことのように思われる。それは消失の欲動である。夜は輪郭を消し去る。暗闇の魔術はそれを可能にする。すべての影が溶解し、すべての形がそこに溶けだすことを可能にしてしまう力がそこにはある。それは消失の力だ。だから消失の欲動は夜の魔力に親密なものなのだと思う。だから夜にはあまりもやもやと思考など働かせないほうが身のためだ。夜は思考も溶解させる。真っ暗闇の溶解、その培養液のなかで、妖怪たちが遊んでいる。溶解しているさなかというものを人間はおそれるのでそれに名前をつけて、とりあえずは妖怪と呼んだりして、名前をつけることで関係を結ぶことができて、関係を結ぶことができるということはそれから離れることもできて、別れることもできて、分かることもできて、安全な共同体の内部、光の灯る家々で食事をしながら酒を飲み、楽しげなはなしをしたりもする。そんなふうにしていればいいものを、とおもいながらぼくはときどきそれでもなお夜の森にも散歩にでかける。それは妖怪たちに会いにいくことだ。と言ってしまえばそれはそれで間違いではないのだけれどぼくには妖怪というものはよくわからないのでとりあえずわかりやすく伝えやすくそう読んでみたりしてふざけているだけだ。別の呼び方でもべつにいい。夜に会いにいくでもいいし、暗闇に会いにいくでもいい。その表現のしかたに、ぼくにはさほどちがいはない。どれでもいい。そこに行くことが、そのなかに入り込むことが重要なことなのだ。

とりあえず生きている人間をいまはやめる予定はないのでぼくはべつにふつうに生きているのだけど、それでもまあときどきは息がつまるときもある。どうもなにかがつまる。そんなとき、生きながら人間をやめる、というか人間を離れることも必要になることもある。共同体の外にでることが必要になるときもある。森はむかしから共同体の外である。それは外の外にもつながるものだし、なんなら絶対的な外とともつながる場所だと思う。だから森は基本的に危険な場所である。でもだから必要なのだ。安全ばかりで囲い込むから息苦しくなるのだヒトは。

ともあれ今夜もいい夜だった。いろんなものが飛び交っていた。そこに入り込み、つまりはここから外へとでて、人間からすこし離れて、眼のありかたも変わる。それは具体的な変化だ。ぼくの眼の、眼球のありかた自体からして変わる。当然、見ることのしかたも変わる。その変化が、こうした小さな散歩のなかにある大切な事柄なのである。

夜はなにかをこちらに纏いもして帰るような感じもする。ひらいて、浄化するだけじゃあない。それもあるけれど、危ういものをも、こちらに纏って、それは纏うだけれども、うちがわに秘めて、ということでもあるかもしれないがそのようにして、家路に着く。

妖怪と歩いてるみたいだと言われた。ほんまにそうかもねと茶化し笑いをした。もう夜の散歩にはついていかないって決めたと言われた。だって森は来るなって言ってるように感じたもんと言われた。ぼくはそうだねと話した。だから行くんだけどね。とは言わなかった。行く必要がある人とそうでない人がいるだけのことだからそれはどちらでもいい。危うさのなかでしか得ることのできないそれをまた必要とするときにはまたその、別の、それでいてまたいつもの、夜の森にぼくはひとりで散歩にでかけて、また、人間からすこし離れてみたりもするのだろうと思う。ただそれだけのこと。